耐震住宅を造ろう(104)憂愁
酔漢に絡まれ悲鳴を上げて逃れようとしている電車内の女性に、他の乗客たちは己が“人命と平和”の為、見て診ぬ振りをしその場を立ち去ろうとしている事に、殉ずるべき、護るべき“法と正義”と云う“かけか゛えのない”“人間の尊厳”が忘却自失の圧迫の中にあって、脅迫に屈し誇りを捨てそれでも尚、隷属生活を営もうとしている戦後日本人の最大の「悲劇」を日々に見せ付けられている。1970年代に始まる「拉致問題」にしても、2002年小泉元首相が訪朝し5人を取り戻したが、政府認定だけでも12件、17名での5人の解決だけであり、一般には数百人が誘拐されたにも拘らず、国家も個人も口では奇麗事を言いながら一向に解決せずにして30年、未だ目途も立っていない。国内で誘拐事件が発生したら警察は全力を挙げ暴力を背景にして秩序維持に立ち上がり、決して犯人との“話し合い”で片付ける事は無い。そうして法と正義を確保しなければ、社会が乱れ人間の生活が維持出来ない事を、歴史が証明するからである。ならば国際間でも全く同じことが言え、反戦と平和維持の為、法と正義が犠牲になる事は人間が因って立つ“尊厳と誇り”を捨て“脅迫”に屈し生ける屍となって社会の意義そのものを失うことになる。人類は悠久なれど、一個の人間は有限ではかないものであり、人命は尊重すべきものであっても悠久なる人間の歴史の流れから一点であり陽炎であり、つかの間の生命だ、生と生を繋げ永遠の価値を意義付けるには、己が“一生を越えた価値”を連綿として其の生に与えなければならない。其れこそは“法と正義”である。従って拉致問題を解決し歪んだ日本社会を正すには、選択的軍事力の発動以外には無い。かつての国鉄ストや社会保険庁の不祥事に対し平和的解決をする余り、本質を失い世を乱してはいないのか。1975年8月、クアラルンプールでの米・スエーデン両大使館を占拠した日本赤軍は、外交官らを人質に浅間山荘事件などで逮捕された連合赤軍幹部らの釈放を要求した。日本政府は“人命尊重”のため“超法規的処置”として要求を聞き入れ5人を釈放したが、世界の物笑いとなった。この時の総理は福田であり、親子2代に渉って恥を掻いた。犯人の要求に屈服し、人命の為と称し法と正義を曲げたら、法の制作・執行者としての国家存立基盤を失い、法治国家にあるまじき堕落に埋没し、其れは正しく反社会的行為であるから、決して許してはいけないのであるが何故か、此れを美化するかのような一般風潮もあり、底知れぬ道徳退廃を感じ修整不能な腐敗に思わず絶望となる。まるで命さえ助けて貰えるのなら国家であっても、どんな言い分にも応じ屈服する民主主義と自由を認めることとなり、卑屈で無原則な護るべき価値も何もないと云う国家全体が、歴史の否定論者に成り果ててしまうのだ。政治とは妥協であると豪語し行き着く果てに尖閣諸島での中国の横暴を許し、韓国には戦後昭和27年の講和条約締結直後の日本の混乱に乗じ、竹島を不法占拠され今でも何等手を打っていない上、不法占拠された北方4島も64年経っても解決の目途が無い。これ等は明らかに戦後平和主義の産物であり日本社会全体が、道徳退廃と混乱の中にあって己を見失い、あの美しかった伝統と文化を捨て去って久しい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント