2009年6月19日 (金)

さぁ、田舎暮らしを始めようー88、こころ

例え肉体が朽ちても、“霊魂”は永遠であると信じてきた。3万5000年前に日本列島に流入した“村社会自然派日本人”は其れを固く言い伝えてきた。では「御霊」とは何処にあるのだろうかと考えあぐねて来たが、此の世ではなく、ついには“こころ”の中にあるのだろうと思うようになった。“卑弥呼”はそう唱え自らの地位を固めて来たが、さすれば“こころ”とは一体何処にあるのかを問い詰め、光明を見出す解決点を求め意を決する事幾たびか自問反転すれど獏として要領を得なかった。時が経ち万葉人はこう思った。「村肝(むらぎも)の 情(こころ)くだけて かくばかり わが恋ふらくを 知らずかあるらむ」と、村肝(むらぎも)とは、たくさんの内臓を指し、こころ(情)とは人の体の内面にあると云っている。(一部産経抄転用) 魂も心も姿かたちを見た人はいない、体の内面と言っても其れを腎臓や胃腸に求め分析的現代医学を以ってしても、想像の外であるからなかなか“心”が納まらない。だからこそ賢明なる日本人は何時しか次の様な考えを抱くようになっていった。頭に搭載している“脳”が発生源ではないかと、だからこそ心臓が止まって“死”を迎えても、“脳”は御霊となって永遠に存続していくと考え、脳を生かしておきたかったのである。故に人間の死とは心臓が止まった時であると意義付けるほか無く、永らく定着してきたが、此処に来て世界の潮流に従わざるを得なくなってきた分けがある。平成9年施行の「臓器移植法」は臓器提供の場合に限って「脳死を人の死」と規定し、本人が書面で意思表示している場合にのみ臓器提供を認め、提供が出来る年齢を15歳以上と定めている。その結果日本での脳死移植は81例しかなく、提供者の少ない日本を諦め海外渡航して移植を受けるケースが続出、結果として臓器移植の需給バランスを大きく崩し、費用の高騰を招いた。昨年、国際移植学会は海外渡航移植を禁ずる宣言を出し、世界保健機関(WHO)も追随する方針で、来年にも臓器の自国供給の原則を打ち出そうとしている状況である。又その辺の足元を見た関係者はボッタクリ料金を日本人に請求し、最高で4億円、1億2000万円、1億6000万円と途方も無く高く、6・7000万円の平均をかなり超過している現実だ。平成21年6月19日“臓器移植法改正A案”が衆議院を通過したが、参議院での成立は微妙で民主党の駆け引きも始まり、解散時期とも重なって成立が危ぶまれている。兎に角今回も心臓死概念を覆すのは困難であり、移植医療の道を開けるには依然と高い壁がある。

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2009年6月 6日 (土)

さぁ、田舎暮らしを始めようー87減反政策を即刻中止せよ

現在の農業荒廃の元凶たる減反政策を直ちに廃止せよ。結果、耕作放棄地は埼玉県分39万ヘクタールと言う膨大な荒地を造り出し、人心を荒廃させ、森林や国土を痛め付け、水や環境の著しい劣化を煽り、6兆円の税をドロに捨て、食料自給率を世界最低の40%に落とし込め、食糧安保を危機に追いやり、国民を深い不安で包んでしまった事に対し、政治屋や官僚・農協関連者は一同切腹の上国民に詫びを入れよ。1970年、第3次佐藤内閣の倉石忠雄農林大臣は減反政策を開始した。此れには赤城宗徳氏や田中角栄氏等が大きな力となったが、当時食糧管理法の下、食生活の変化に伴い米の需要が減り古米、古古米、古古古米と在庫が増え、政府管理料の出費が膨大と成り、国家財政に危機を感じてのことで理解は出来るし賛成だ。但し、その後の食管法の廃止を始め事態の変化に施策が就いていけず、硬直し棒を飲み込んだような“猫の目”農政で今日に到っているが、事態の変化に柔軟に対応し先取りする当たり前の勇気を必要とするが実態は違う、第2に1993年のガット(GATT)ウルグアイランド合意に基き年間消費量の4%~8%の米を輸入するようになった。その結果年間70~80万トンの米が輸入され家畜の飼料や菓子の原料となっている。共産党が主張しているように、この取り決めは「輸入機会の提供」であって必ずしも輸入せよと言う事ではないと言っているが、政府はWTO(GATTの変更)に対し堂々と中止合意を取り付けるべきである。第3に、それにしても日本人政治屋や官僚の諸外国との交渉は感心するほど下手で拙劣、粘り腰も無いから相手からは馬鹿にされるほどであり、今後も改善の見透しは無く、これからも大きな不利益を積み重ねる事が保証されているから、とても診ていられないし私が替って勤めたい。第4には、農業基本法、農業振興法の抜本見直しをしなければなりません。今から約295年も前の8代将軍吉宗公は、幕府財政建て直しの一つとして農地の開拓と農地流動性の促進を図った。あの封建時代にである。現在の戦後マッカーサー農法は、戦前の小作農への反動として農民による農地を特定した(自作農)のであって、逆に農民を農地に縛り付ける結果となっていったのである。その結果農業をしたい県外希望者には農地が取得できず、当該地の農業委員会の同意と都道府県の合意が必要となり農地の転々流動性がいちじるしく阻害されていった。第5には加えて農民の高齢化である。農業は自然を相手の特殊産業で営利収益を求めて意欲ある人材と組織が活発に参入すべき分野である。其の競争活力が品質の向上をもたらし、生産拡大に繫がっていき且つ収入増への道が確保される。生産拡大した農産品は、一般の工業品と同じ様に国内はおろか外国への積極的売込みを図り、競争に勝ち抜いていかなければならない。補助金で農民を従わせたり、生産廃止や制限カルテルを組み政府が堂々と不当な行為に走る事は厳禁であり、原則国民の生産活動には不干渉でなければならない。それどころか第6には、かつての米国による大豆輸出禁止、中国のギョーザ事件、トーモロコシ・小麦・米等が折柄の食糧危機(バイオエネルギー問題も絡むが)で各国の輸出制限が予想されている時に、日本の食料自給率40%は国民の食生活を脅かすものであり、食糧安全保障が今無い。軍事安全国民保障が無い上に、食料保証も無ければ国民は生活出来ないではないか!政府はもっと真面目に働け、石破農水相の減反政策に対し自民党からの圧力で中止になろうとしているが、族議員の利益より国民の利益を追求せよ。其の上ほぼ100%の石油輸入であるから一朝有事の際は壊滅である。第7、100年に一度の大不況で自動車、弱電産業労働者が大分整理されてしまったが、政府は余剰労働力を農業・森林・漁業労働の一次産業に振り替える政策努力をせよ。日本の産業構成を将来の人口減を見越し、健全なるバランスとなるよう国策の実行を地道に統計建てて行なうが肝要である。

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2009年4月23日 (木)

さぁ、田舎暮らしを始めよう(86)田植えの準備

桜に春の訪れを抱き、ジョージア州オーガスタでの美しい緑の絨鍛を踏みしめ、花々咲き乱れる舞台での男たちの競演を越して、水と緑が彩なす躍動の田園が目に滲みる。日本列島は南北に長いが、時間差の付いた田植え風景も例年の光景として、コメの定着した伝統慣習に思わず安堵する。今頃は各地で苗代の分配、水路の確保、田お越しなど、機械の整備、人手の確保等々一所懸命の労働が、向こう一年の生活を左右する重要な時期を迎える。それどころか、農家の知恵と肉体作業が国民全体の生活と生産活動たる“勤勉と忍耐”を支配し、且つ心が洗われる美しい緑と水の提供は、日本の“豊かさ”を現す根源の一つとなっているのだ。立命館大学加地伸行教授は、「欧米人が云う“個人”や“自由”の概念は、“神”と言う抑止力があって始めて成り立ち、キリスト神の無い日本では、利己主義に走り過ぎ戦後の悲劇へと繫がった。然し我々には伝統的に“祖先”が抑止力になって来たので今こそ再興し、教育、家庭、道徳を見直していこう」と説いている。

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2009年4月15日 (水)

さぁ、田舎暮らしを始めよう(85)求む、古民家で分かる事

今や都会からの古民家需要が以外に多く、北杜市・韮崎市周辺では供給ゼロである。実際には全く無いと言うことはなく、僅かに5本の指位の数はあるが目下生活中なのである。それも高齢者単身生活者が殆どだから、広過ぎて手に負えなくなっている家を整理して、人に貸し収入の一助にしようと言う発想とは無縁になっている。この状態を診て想うに、老人の一人住まい問題、介護・医療問題、福祉問題、地域振興問題、都会と地域の連携発展の為の、国や自治体による分配機能不全を、善良なる方向へと指導する人と組織について、老人大国化を目前にして早く手を打つ必要があるのだ。例えば、老年人口指数は平成15年28,4%、3,5人の生産人口(15歳から64歳までの労働人口)で一人の年寄りを面倒診る計算で、2025年には48%、つまり二人で一人の老人の生活を見なければならないが、現状では出来ない相談である。加えて政治機能までもお仲間入りしている現状では、処理機関を探し出すか創作する事から始めなければならない。ミイラ化された独居老人発見ニュースは、もう御免。

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2009年3月17日 (火)

さぁ、田舎暮らしを始めよう(84)法隆寺創建は

法隆寺金堂の天井檜板年輪から、伐採は紀元668年と鑑定された。聖徳太子が604年、位階12階を決め607年17条憲法を制定し、其の流れで法隆寺金堂を建立されたと言われてきたが、此れはやはり間違いない史実と推定する。日本統一の中央集権政治を目指すのに、仏教の力を借りて全国展開を図ろうとしたのだ。現在、金堂のある伽藍西院の南東に焼失した旧金堂跡(若草伽藍)があり、日本書記には“天智9年焼失”つまり紀元670年焼失と記録され、従来年代が合わない為議論紛争となっていた。668年伐採・創建の鑑定により、若草伽藍が蘇我入鹿に襲撃されたのは紀元643年なのでその際に炎上焼失し、現在の東院一帯に生活していた太子の肉親・親族一統は、ことごとく自殺し或いは命を奪われ一族は消滅した。加えて推理するに、現在設置されている“釈迦三尊像”“久世観音像”“玉虫厨子”3体は火災跡がまったく無い為、若草伽藍には始めから設置されず、現在の金堂に据え付けられたと判断する。特に太子の実物大と言われる釈迦三尊像は、銅製で500KGと重く緊急火災時に避難移動出来るとは考えられないので、現金堂に初めから在ったと思われる。久世観音像も始めは現金堂に設置され後に東院の夢殿に置かれた。金堂には久世観音像の円形台座跡が残っているからだ。従って日本書紀の“焼失670年”は明らかに間違いである。聖徳太子の頭には、天皇を中心とした統一国家造りしかなく、位階12階、17条憲法も、中国・隋への対応も全て国家安寧への布石であった。そこを政治的実権を握りたかった蘇我氏と衝突したのであったが、聖徳太子が生きていた時にはほぼ何も出来ず、全て死後の出来事である。法隆寺金堂焼き討ち事件の2年後、蘇我入鹿は中大兄皇子、中臣鎌足らにより殺害され(乙巳の乱・大化の改新)天皇中心制に戻ったが、ただ残念なのは世界最古の木造建築物の寿命が、61年短くなったと証明された事である。

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2009年3月10日 (火)

さぁ、田舎暮らしを始めよう(83)無念、勝者の戦争犯罪

今日3月10日は、東京下町一帯が米軍のB29の無差別爆撃を受け、10万人が死亡した東京大空襲から64年目の命日に当たる。日本が頻繁に空襲を受けるようになったのは昭和19年夏、サイパン、テニアンなどを失い本土がB29の行動圏内に入ってからである。当初は軍事施設を狙った精密爆撃が中心だったが、昭和19年12月29日、ホワイトハウスでルーズベルト大統領とマーシャル参謀総長らが秘密の作戦会議を開き、民間人を直接爆撃対象とし、夜間低空飛行で焼夷弾を投下すると言う、戦時国際法違反の無差別爆撃を決定した。その結果ドイツ・ハンブルクで無差別絨鍛爆撃を断行し、昭和20年1月米極東軍司令官に就任したカーチス・ルメイ少将は、木造の住宅密集地を標的にした無差別爆撃に切り替えた。先ず爆撃目標地域周辺に焼夷弾を落とし、逃げ道を塞いだ上で絨鍛爆撃を加える方法だった。マリアナ諸島を飛び立ったB29・325機は作戦計画に従い、焼夷弾の“火の壁”をつくり住民の退路を断ち、1平方メーター当たり3発の焼夷弾を計2,700トン雨あられの如く無辜の市民の頭上に降り注いだ。詰まり皆殺しである。ルメイは戦後、「もしアメリカが戦争に負けていたら、私は間違いなく戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い私は勝者に属していた」と述べている。我ら人類はこの様な“狂気”を許してよいのだろうか!無差別爆撃は名古屋・大阪などの大都市や地方都市にも加えられ、犠牲者総数は50万人を超えた。(以上産経新聞より)同じく原爆投下による死者数は、広島14万人、長崎7万4000人(いずれも投下後1ヶ月内数)で、民間非戦闘員の犠牲者総数は約80万人と言われている。これ等はいずれも、昭和20年1月以降の日本敗戦が決定的と、誰もが看做していた時期であり、“日本人もてあそび殺戮”だった。これ以外にも戦闘員が240万人犠牲となったが、戦いの結果であったので文句を言う筋ではないにしても、今だに外地で露出した骨となって多数晒されているのは納得できるものではない。現在の日本の状況から云えば、明らかに彼らは“犬死”であり、彼らを祀っている“靖国神社”参拝ですら“自由”に行なえず、“悪事を働いた”意識を外国から摩り込まれ、国内のリベラル派には“洗脳”され尋常一様でないのである。80万人の大量虐殺は其の必要性は全く認められず、明らかに“人道に対する罪”にて処罰する必要があり、ヨーロッパでも同じ様な潮流が湧き起こっていると聞いている。東京裁判では全く違法にも「事後法」で処罰したのだから、64年経った今でも“敗者の裁判”を起こし、“正義”を追求する事が失われた“道徳の復活”に繋がり、現在の退廃混乱を正す唯一の方法になると信ずる。本来戦いとは戦闘員同士の争いであり、一般民間人を標的にするなどは全くのお門違いで考えも及ばなかった。其れが始めて顕著に現れたのが米国・南北戦争だったと言われているが、1922年ハーグでの日・米・英による「空戦に関する規則24条」は、結果として未発効になったが、軍隊や軍事施設以外への爆撃を禁止していた。当時の米政府は軍事外交委員会でも「戦争終結を早める為」と称し専ら正当化に努めていたが、本当に無差別爆撃が必要であったかは無論、其の必要性は認められず、大いに疑問とされる処だ。まるで小沢や二階のように“金を貰った相手は知らない”発言をした厚顔振りの演技も俄然必要となる。此れまで何時も行なわれて来た“勝者の裁判”では無く、“敗者の裁判”がなければ“真実”が現れず、因って正義も出ずに世が乱れる。死者を想うに無念也、ただただ悲しき事かな!

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2009年3月 9日 (月)

さぁ、田舎暮らしを始めよう(82)予定通りの混乱

今回での小沢事件は、自民党的体質を伝統的に引き継いだ事件で、いずれ起こりうる事として捉え、今までブログにも記載してきたが、金丸信の遺産である。検察としては政治資金規正法での虚偽記載ではなく、贈収賄事件としての立件を目指したものであろう。小出しの情報を積み重ねると、筋書きが簡単単純で小沢一郎としては抜かりがあったとしか云えない。かねてから伝えられている13件にも渉る不動産購入にも、調べれば必ずボロが出て来る筈だ。小沢も二階も今までに数億も貰っていて“献金者が誰だか分からない”は世間に通用しない。金銭感覚が麻痺し“白を切る”のが常態化しているとしか云いようがなく、画の如き悪事が国権の最高機関で堂々と跋扈するは、モンテスキュウの頭には無かったに違いない。立法府を始め3権の腐敗退化は目に余り、もはや納税者は“金のなる木”としての存在でしかなく、彼らによって良いように刈り取られているのだ。民主主義とは今や砂上の楼閣にして実体を失った。今必要なのは知的秋冬無血革命しかない。

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2009年3月 6日 (金)

さぁ、田舎暮らしを始めよう(81)統治能力

現在の政界には本来あるべき統治能力が指導者に備わって無い為、適切な決断と実行が出来ない。今回の一人原則12,000円の給付金にしても、昨年11月には、100年に一度の大不況だから第二次補正予算案が必要だと叫ばれ、だから解散どころではないと仕切りに説いていた麻生総理も、給付金の実行には4ヶ月余も掛け、其の実行の遅さに燎原の火を消す効果も失せ、尚実効を失った事にも気が着いてないように映る。統治能力の欠如である。トップダウンをすれば独裁と言われ、合議によるボトムアップでは時間が掛かりすぎて実効性に乏しくなり、指導力の身の置き場に困るのが実情であるが、歴史上の人物との比較において論評すれば、指導者の能力と事前の根回しが背決定的に不足しているのを見い出す。指導者の能力とは、決定と実効を独断専横で行い、民主主義のベールで包み込む技術を発揮できる事を言う。又指導者の側近に優秀な人材の配置も必要不可欠であり、マスコミ対応専門家も貴重である。現状では以上の全てにおいて適格者が存在せず、誠に不幸な時代を迎えているのだ。

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2009年3月 2日 (月)

さぁ、田舎暮らしを始めよう(80)世も末だ!

民主党の小沢代表は2月、民主党支持者との会合で拉致問題の解決には“金をドンドン渡して買い取るか”と言う趣旨の発言をして列席者のドギモを抜き、然もかなり本気だったと言う。彼は1985年の初入閣以来、かなりの豪腕キャリアを政治的に蓄積して来た為、思想信条が見え隠れし、金で形を付けるその場その場での場当たり的対応の連鎖にも映る。彼が自民党幹事長の頃、1991年の湾岸戦争当時総戦費610億ドルの内、米国70億ドル負担、ドイツ70億ドル、サウジ・クエート160億ドルに対し日本90億ドル(当時約1兆円)とダントツの大盤振る舞いで、一体何を考えて米国に払ったのかも分からず、此直前までの1989年から1990年6月には10年で430兆円と言うとてつもない金額の公共投資を米国と約束した日米構造協議が終了(小沢の親分・金丸信が糸を引いた)、その後バラ撒き路線の癖を彼が付けたと言ってよいのではないか。誘拐事件は刑事事件として警察力の発動だが、相手が主権国家なら軍事力による強制がなければ解決は無理である。拉致誘拐犯と話し合いでカタを着ける発想は、祈念平和主義者の狡猾な幻想であるが故に、未だ持って解決はしてないし、年齢を考えれは゛正義の放棄である。犯罪に対する暴力強制取締りは、人類が永年勝取った普遍の歴史であり、リベラルの出る幕ではない。個人と国家の違いだけである。こんな事は当たり前の常識だが、卑怯にも誰も口に出さないし、根っこにある“憲法”に触れることを恐れ沈黙を貫いている。従って“犯人に金を払って被害者を買い取る”発言が小沢から出てくるのだ。幾多の困難を乗り越え、人類が営々と築いて来た“倫理・秩序・正義・法”を曲げ、天にツバする取り返しのつかぬ大罪を犯したら、世の嘲笑となって奇麗事主義の代償では済まされない。既に中川前財務相は世界の嘲笑となった。

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2009年2月25日 (水)

さぁ、田舎暮らしを始めよう(79)言いようのない不条理

北方領土は日露戦争勝利の1905年、アメリカの仲介によりポーツマス条約を締結し、北緯50度以南の樺太及び樺太南部千島海峡より南の千島列島を割譲したものである。当然択捉島の北ウルップ島他2群も所属であり、1951年9月のサンフランシスコ講和条約の敗戦処理により、他の領土を含め請求権を放棄したものだが、北方領に関しては当時のソ連は講和条約に出席せず署名もしなかったので、宙に浮いた未解決状態を今日まで続けているのである。一方当時のソ連は、日ソ中立条約を破り不法侵入し、既に力を無くし弱った日本の敗戦のドタバタに紛れ満州と北方領を違法占拠の上、今日まで実効支配しているのです。過って北方4島に居住し生活を定着していた住民は不法にも追われ、時々の墓参でさえも去年「管理カード」=ビザを持って来いと突然追い返される始末に、外務省職員は抵抗もなく戻った。元住民の高齢化も進み涙も枯れはてて居る所に、ビザなし交流で続いていた状態も一方的に切られてしまった。幾多の困難を経、日本資本が開発したサハリン2開発事業もガスが出る段になって、プーチンの命令で突然国営ガスブログに経営権を強奪されても、国家による抗議一つ出ていない。1945年8月6日広島に投下された原子爆弾は、一瞬の内に約14万人(広島市役所発表3ヶ月後調査)の市民の命を奪い、現在まで死者及び負傷者は続いている。一般市民を標的に然も、弱って負け戦が誰の目にも明らかな状態での愚かな殺人行為である.此れは明らかに“人道に対する罪”であるので関係者は処罰されなければならないが、処罰されたのは東京裁判での日本人だけである。勝てば官軍は世の習いだが、度が過ぎる分脳が納得しない。赤穂浪士でも徒党を組み、不正を正すべく権力に立ち向かったが、其れに比べ現代人は、生きるに必要な正義感までもマッカーサーにより削ぎ取られ、あまつさえ洗脳され、不幸にも気が付いていない振りをしているだけなのだ。昨年米国国務次官補のヒルズ氏は、親分のブッシュ大統領が“此の世にこんな不幸があってはならないし拉致は決して忘れない”と約束した口の端から、北朝鮮に対し“経済制裁及びテロ国家指定解除”を実行し日本人を明白に裏切り、その後核「検証」の実行をしない金正日にまたもや騙されてしまったが、声高な非難も反省も無い。北朝鮮は数百名と言われる日本人を誘拐し本国に連れ去った。麻薬や偽札もやりたい放題の無頼ぶりで、其の上ノドンを列島越しに放たれ、からかわれ、それでも日本政府や日本人は為す術を知らず否、知らない振りをして偽善の生活を享楽して来たから、真理の筋目が立たなくなり、ついには漢字のよく読めない総理や、酔っ払いの財務大臣までもが出現する羽目となって世界の嘲笑を買った。韓国が“漢江の奇跡”と言われる経済発展を為し得たのは日本の援助無には有り得ず、1998年の経済危機にも助け舟を出し乗り切ったが、64年前までの“日本侵略”には声高に叫んでも、支援の感謝の声一つ出ずに専ら反日教育に徹し切り、おまけに竹島を不法に武力侵略するに到っては言語道断、其れでさえ日本側からの抗議・武力を含めた対抗処置等は殆ど無く、平和を叫べば解決すると言う無頼かつ祈念平和主義集団に席巻され、外野席の心境を楽しんでいるのだ。1951年9月にサンフランシスコ講和条約が締結され、やばいと思った韓国・季承晩元大統領が日本海に“季承晩ライン”を勝手に引き、竹島を不法占拠したのは、講和条約が公布される3ヶ月前で「駆け込み占拠」であった。それ以来韓国は、北朝鮮と歩を揃え反日闘争を仕掛けているのが隠された事実である。2008年3月までの過去30年に渉る中国に対する経済援助額は3兆4000億円で(外務省発表)膨大、現在の中国経済発展は間違いなく日本のおかげと言って良い。にも拘らず、反日教育と反日歴史で反日闘争が日常化しているのだ。南京大虐殺で30万人の市民を殺したと宣伝するが、当時の南京市人口は10万人台で真っ赤なウソ、踊らされた大衆が大使館・領事館を襲撃し建物を傷つけても中々補償をしようともしない上、更に醜い“アヘン戦争”等で膨大な麻薬患者を作り出されていながら、英・米に抗議一つ云えないお粗末が日本に悪態を衝けばつくほど炙り出され、日本に毒入りギョーザを送って知らん振りし、日本の仕業と言い逃れする余り、国内で同じ毒入りギョーザに当たる始末で極めて漫画的なれど、東シナ海の日中中間腺周辺でのガス田開発を一方的に強行、日本が試掘しようとすると軍艦を出すと脅され政治屋・官僚がひるみ、潜水艦は領海侵犯を繰り返し、追った自衛官(艦)はぶざまに見逃し、漫画家はネタにしたいだろうが国益は莫大に損なわれている。事ほど左様に近隣諸国は悪事の限りを尽くし、憲法に謳う“諸国民の公正と信義”を放棄しているのが現実で、偽善憲法を見透かし散々利用されっ放しなのだ!そろそろ長くなるのでこの辺で結論を云えば、日本国憲法(1947年5月3日施行)前文は、「日本国民は、恒久の平和を祈願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、」とこの様に誠に格調高く謳われているが此処までは良いのである、これからが先ほど私が書いた近隣諸国との現実とかけ離れ、死文化しているから訂正するか新規記載せねばならない。曰く「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」毒入りギョーザで知らん振りをし、他国民を誘拐し、ドサクサに紛れて他国の領土を不法奪取するのは、“公正と信義”に反するのでとても信頼できず、増してや“われらの安全と生存を保持しようと決意”する事は、間違っても出来ない相談である。原爆を落とし不法東京裁判の偽善を貫き深き陰を持つマッカーサーでなければ、現実逃避の偽善作文はとても書けないのだ。戦後統治の為の日本人洗脳作戦は複雑にして深淵で、今日状態を逆に辿れば実に見事に成功している。彼もまた不実だらけで、昭和25年に朝鮮戦争が勃発すると米国人の血を流さない為、日本人に再び戦わせようとして自衛隊の前身である警察予備隊を創り、わざわざ渡米して米上院外交委員会で「先の太平洋戦争は日本の自衛戦争であった」と証言し、自らが壊した日本軍の再創設が旨く成功する様企んだ。此れ以上道徳の退廃を防ぎ、社会悲劇を繰り返す事無く、日本人の矜持を保つ為にも、国会での陳腐で無理な漫画的やり取りをも廃止し、加えて憲法公布から62年以上も経ち、すっかり社会環境が変遷し、新たな概念も発祥しているので、様々な“不条理”を正し、現在日本の諸悪の根源を撤去する為にも、“憲法の新設”を先ず断行しなければならないのです。

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