さぁ、田舎暮らしを始めようー88、こころ
例え肉体が朽ちても、“霊魂”は永遠であると信じてきた。3万5000年前に日本列島に流入した“村社会自然派日本人”は其れを固く言い伝えてきた。では「御霊」とは何処にあるのだろうかと考えあぐねて来たが、此の世ではなく、ついには“こころ”の中にあるのだろうと思うようになった。“卑弥呼”はそう唱え自らの地位を固めて来たが、さすれば“こころ”とは一体何処にあるのかを問い詰め、光明を見出す解決点を求め意を決する事幾たびか自問反転すれど獏として要領を得なかった。時が経ち万葉人はこう思った。「村肝(むらぎも)の 情(こころ)くだけて かくばかり わが恋ふらくを 知らずかあるらむ」と、村肝(むらぎも)とは、たくさんの内臓を指し、こころ(情)とは人の体の内面にあると云っている。(一部産経抄転用) 魂も心も姿かたちを見た人はいない、体の内面と言っても其れを腎臓や胃腸に求め分析的現代医学を以ってしても、想像の外であるからなかなか“心”が納まらない。だからこそ賢明なる日本人は何時しか次の様な考えを抱くようになっていった。頭に搭載している“脳”が発生源ではないかと、だからこそ心臓が止まって“死”を迎えても、“脳”は御霊となって永遠に存続していくと考え、脳を生かしておきたかったのである。故に人間の死とは心臓が止まった時であると意義付けるほか無く、永らく定着してきたが、此処に来て世界の潮流に従わざるを得なくなってきた分けがある。平成9年施行の「臓器移植法」は臓器提供の場合に限って「脳死を人の死」と規定し、本人が書面で意思表示している場合にのみ臓器提供を認め、提供が出来る年齢を15歳以上と定めている。その結果日本での脳死移植は81例しかなく、提供者の少ない日本を諦め海外渡航して移植を受けるケースが続出、結果として臓器移植の需給バランスを大きく崩し、費用の高騰を招いた。昨年、国際移植学会は海外渡航移植を禁ずる宣言を出し、世界保健機関(WHO)も追随する方針で、来年にも臓器の自国供給の原則を打ち出そうとしている状況である。又その辺の足元を見た関係者はボッタクリ料金を日本人に請求し、最高で4億円、1億2000万円、1億6000万円と途方も無く高く、6・7000万円の平均をかなり超過している現実だ。平成21年6月19日“臓器移植法改正A案”が衆議院を通過したが、参議院での成立は微妙で民主党の駆け引きも始まり、解散時期とも重なって成立が危ぶまれている。兎に角今回も心臓死概念を覆すのは困難であり、移植医療の道を開けるには依然と高い壁がある。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

最近のコメント